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「私が両親を支えてあげなくちゃ」義務感に押しつぶされそうになった自分の心

2019.09.21

父親がうつ病、後に双極性障害だと診断されたミルコさん。「自分が両親を支えてあげなくちゃ」と奮闘する中で、自分の心身が危うくなった経験もあるそうです。 家族との向き合い方、そして、自分の心との向き合い方について、ミルコさんのお話を伺いました。

患者さんから見た立場

娘(29歳)

患者さん

診断名

うつ病・双極性障害

―お父さまがうつ病を発症したのは、いつ頃だったんですか?

発症したのは、私が小学生の低学年のときです。そのときは、父がうつ病だとは知りませんでした。
18歳のときに、初めて母に、父の病気を聞かされたんです。

―どんな風に、お母さまから聞かされたんですか?

母は、私に言うつもりはなかったと思います。

そのときは、私が大学受験のときで、勉強に本気で取り組んでいなくて。母と口論になって、その流れでつい口から出てしまった感じでした。

「私がどれだけ頑張ってきたのか分かる!?お父さん病気なんだよ!」って。「勉強しないなら、家族をサポートしてもらうよ!」と、怒りにまかせて言ってしまった感じでしたね。

母も、言ってからすごく後悔していたと思います。私を巻き込まないように、私を父の病気から遠ざけよう、関係ない人生を送らせようと必死だったから。

―遠ざけてくれていたと感じるのは、どんなところで?

小学生のころ、冬でも「外に遊びに行ってきな!」と母に言われることが多くて。そのときは、寒いのになんで外に行かなきゃいけないの?と思っていたんですけど…。

最近、父の症状がひどいときは、私を外に逃がしてくれていたと知りました。娘に、父の不安定な姿を見せたくなかったんだと思います。

―18歳のときに、お父さまがうつ病だと聞かされたとき、どう思いましたか?

当時、うつ病は"心の風邪"とよく表現されていたんです。だから、私もそのイメージが強くて。「お父さん、心の風邪にかかってたんだ」と思いました。

うつ病だと聞かされたときは、父の症状も回復してきたところだったんです。だから、あまり重くは考えていなかったですね。

ただ、次になにかあったら自分もしっかりしなくちゃ!とは思っていました。今まで父の病気を知らされずにぬくぬく育ててもらったから、次は自分がしっかりする番だ!って。

―うつ病だと聞かされるまで、お父さまが病気かもしれないと思ったことはありましたか?

いや、なかったですね。「お父さん、なんか変なの!」って思ったことはあったけど、それが本人の性格なのかと思っていたんです。他の家族の姿も知らなかったから、これが普通の家族なのかなって。

父がうつ病と聞かされて、「世の中で言われている精神疾患って、私たち家族に関係ある事だったんだ!」と驚く気持ちもありました。

自分には関係ないと、どこかで思っていたんですよね。

―変だなと感じたところは、例えばどんなところですか?

いきなり、家中の物を片付け始めたりとか。自分の物も、人の物も。「なんでそんなことするの?」って聞くと、「目障りだから」って返ってくるんですよ。家の電気をずっと消して回ってたり、とにかく落ち着きがなくて、ずっとイライラしていた気がします。

あとは、頭を抱えて唸っていたり、ご飯を見つめながらぼーっとしていたり。今考えると、病気の症状がひどくて食べることができなかったんだと思います。当時は、「お父さん、食欲ないんだなぁ」としか、私は思っていませんでした。

―18歳のときに、お父さまがうつ病と聞かされたときは、症状は落ち着いていたんですよね。その後、お父さまはどんな様子だったんですか?

私が大学に通っている間は、本当に落ち着いていました。

父は、一時期休職していたんですけど、仕事復帰もしていたから。もう治ったかなと思っていたんです。人生で大変な時期はあったけど、乗り越えられてよかったねって。

生活の中で精神疾患を意識することは、ほとんどなかったですし、なんなら忘れてすらいました。

―ミルコさんが23歳のときに、お父さまの病気が再発したそうですね。再発のきっかけで、思い当たることはありますか?

働きすぎて、疲れてしまったんだと思います。飛行機で海外を飛び回る仕事だったので。

疲れているのに、無理をして働いてしまう人なんですよね。完璧主義で、「俺はこれを成し遂げないといけないんだ!」って、体に鞭打って働いてしまうから…。体力的にも、精神的にも限界が来て、病気になってしまったんだと思います。

―お父さまの再発を聞いた状況は、どのようなものだったんですか?

父は単身赴任だったんですけど、ある日家に帰ったら、父がいたんです。父は明るい感じで、「しばらく家にいるから、よろしくね!」と言ってきて。母に、「お父さん再発したから」と聞かされたんです。

診断名も、うつ病から双極性障害に変わりました。

―お父さまが双極性障害と診断されて、どう思いましたか?

18歳で父がうつ病と聞かされたとき、次になにかあったら私がしっかりしなきゃ!という気持ちも強かったので、とうとう私の番が来てしまったな…と思いましたね。

しっかりしなきゃと決意していたはずなのに、いざ本番が来ると、戸惑いも大きかったです。そのとき私は社会人1年目で、仕事を覚えるだけでも大変だったので…。

しかも、直属の上司がパワハラな教育スタイルで有名な人で、私も、あまり余裕がなかったんですよね。

父も、私の仕事が大変なのは気がついていて。「大丈夫か?」と言ってくれることもあったんですけど、自分が解決できるわけでないから、そのことでも気を病んでいたんだと思います。母に、よく私のことを話していたみたいなので。「あいつは大丈夫なのか」って。

そこからしばらくして、転職をしたんです。このままじゃ、パワハラ回避能力だけ付いて、仕事ができるようにはならない!と思ったので。

父の症状も目に見えて悪くなっていて、このままじゃ母も父も老後の貯金を食いつぶしてしまうんじゃないかと、不安や焦りもあったんです。

自分が、経済的に家族をサポートするときが来るかもしれないと思って。給料を上げようと、経営コンサルに転職しました。

―お父さまやお母さまから、経済的に支えてほしいと要望があったことはありますか?

そういうことは、今まで一度も言われていないです。でも、娘には言えないだろうなと思っていたから…。来るべき日に、自分が備えていなくてはいけないと思ったんです。

―お父さまが療養中、ミルコさんはどのように接していましたか?

再発してすぐの頃は、サポートしたいとは思いつつ、どうすればいいのかわからなかったんです。やさしい言葉をかけるとか、それくらいでした。

母からも、「ミルコがニコニコしていてくれたら、いつかよくなるから」と言われていて…。でも、父の症状を見ていて、絶対にそんなはずはないとも感じていました。

―それは、どんなところで感じていたんですか?

まともに会話ができなくなったんです。

双極性障害は、気持ちがすごく高ぶる躁の状態と、無気力になるうつの状態を繰り返すんです。父の場合は、圧倒的にうつの状態のほうが多かったです。

なにか言いたいことがあっても、頭の中で言葉がまとまらないみたいなんですよね。だから、話しかけられること自体がプレッシャーに感じるみたいで…。「反応できないから、話しかけないでほしい」と、直接言われたこともありました。

父からすれば、日常で感じているすべてのことが、苦しい・悲しい・怖いに繋がってしまうようでした。

―それは、ご本人も周りの方も苦しいですね…。

父の治療方針を決めるのは母だったので、私が仕事から帰ってきて、夜に母と会議を開くことも多かったです。

父に対してなにをすればいいのか、2人で夜な夜な話し合うこともありました。

―例えば、どんなことを話していたんですか?

「今日って、波の中でどれくらい落ちてる?どれくらい高い?」って話をしたり。「今までの感じから言うと、これくらいかな」って、図に書いてみたり。

母は、父の日常生活の行動を、ノートに記録していたんです。それを見て、私の意見も交えて話をすることが多かったですね。

症状確認をすることで、病院の診察でもスムーズに話ができたんです。母も、「娘もこう言っているので、今はこんな状態だと思います」と先生に伝えたりしていました。

―仕事から帰ってきて、家の中でも会議をするのは、大変ではなかったですか?

体力的には、もちろんしんどいんですけど…。

父の状態があまりにもひどいと、話さずにいられないんです。母も私もとても不安だったから、その気持ちを誰かと話したかったんだと思います。自分の中に溜めていると、自分がつらくなってしまうので…。

母は専業主婦で、父とずっと一緒だったので、私と話すことで気持ちを発散していたのかもしれないですね。

―躁の状態のときは、お父さまはどのような状態だったんですか?

上がっているときは、顔つきが明らかに違うんです。しかも、躁になるときって前触れがないんですよ。ずっと下がっていたと思ったら、いきなりドーン!と上がってしまう感じ。

テンションが上がるだけではなくて、攻撃的になるんですよね。誰かを論破したがるというか…。私に対しても、いきなり「仕事はどうだ?」と話を振ってきて、議論に持っていこうとするんです。

私がついイラっとして、「いやそれはこうでしょ」と返してしまうことで、口論になってしまうこともありました。我慢しなきゃとは思っていたんですけど、そのとき絶対に言われたくないことを言ってくるから、私も感情的になってしまって…。

―言われるこちらも、人間ですからね…。

そうなんですよ。うつのときに寄り添っていたのに、躁になった途端にひとりで突っ走ってしまって、こちらは置いてけぼりなんですよね。

父にはいまだに病識がないので、躁の状態を「これがお父さんの本来の性格なんだ!今までは落ち込んでいただけなんだ!」と言うこともあって。なんか、すごく疲れてしまうんです。

―お父さまが躁のとき、ミルコさんはどのように接していたんですか?

躁になると、行動がセーブできずに外に飛び出してしまうことも多いんです。SNSで家族の写真を大量にアップしてしまったり、いきなり同窓会を企画しようとしたり。

そんな父の行動に耐えられなくて、喧嘩になることも多かったです。「この病気の離婚率知ってるの?」と言ってしまったこともあって。

「私の周りでも、お父さんが精神疾患になって、離婚した夫婦がいるんだよ。でも、うちは今までずっとお父さんを支えてきたのに、家族の気持ちをないがしろにして、どういうつもりなの?こっちの気持ちにもなってよ!」って。

―そう言いたくなるほどの状況だったんですね…。お父さまは、どんな反応でしたか?

火が付いたように、怒り狂っていました。

「そうやって言うけど、この姿が、お父さんのがんばりの姿なんだ!今までは元気がなくてできなかったことをしているんだから、理解しろ!」って。

喧嘩をすることで、関係がよくなることはなかったですね。でも、それをわかっていても、我慢できないこともあったから…。衝突してしまうことも多くて

仕事も本当に忙しくて、ある時期、自分にも心身の限界がきてしまったんです。

―どんなときに、自分がおかしくなったと感じたんですか?

過重労働で、睡眠時間も3~4時間の日が続いた時期があったんです。

いつも通り出社しようと玄関に行ったら、靴の履き方が分からなくなってしまって。「あれ?どうやって靴を履くんだっけ?」って、固まってしまったんです。

あとは、休みたくても休めないなら、働きたくても働けない状態になればいいんだ!と思ってしまったりとか。じゃあ、車にひかれてちょっとケガとかしたらいいんじゃない?そうすれば休めるかも!って、頭の中に浮かんできたりとか。

―本当に、追い込まれてしまったんですね…。その状態から、どのように回復していったんですか?

靴の履き方が分からなくなった後、死んだように何時間も寝続けたんです。起きたころにはけろっとしていたんですけど、頭が冷静になったことで、「自分がおかしくなっているかもしれない」と気がついて、カウンセリングに行きました。

カウンセリングでは、「うつ病まではないかもしれないけど、うつ状態にある。本当だったら病院でしっかり診察を受けたほうがいい」と言われました。

「カウンセリングでよくならないか、しばらく様子を見たい」伝えて、結果的に体調は回復しました。回復したことで、自分がどれだけ追い詰められていたのか分かったんです。

―自分が追い詰められているとは、なかなか気づけなかったんですね。

そうですね。追い詰められていたときって、その実感がなかったんです。

ここでつまずいたら会社をクビになると思っていたし、せっかく生活費を補填しようと転職したのに、それができなくなっちゃう!って、自分で自分を追い詰めていたんですよね。

―お父さまとお母さまは、ミルコさんがおかしくなっていることには気がつかなかった?

「大丈夫?」とは言われていました。でも、「大丈夫!」しか返せなかったです。家に帰ると病気の父がいるから、その姿を見て「なんとか自分が頑張らなきゃ!」と感じて…。

でも、仕事も忙しくて、家に帰れば暗い空気の中で過ごさなくてはいけなくて、どうして私はこんな人生なんだろう?と感じることもありました。家に帰りたくなくて、家の周りをぐるぐる歩いて時間を潰したりとか。

忙しい仕事に、父の病気に、いろいろなことが重なって、自分に限界がきたんだと思います。

―ご自身の回復は、どれくらいかかりましたか?

1ヵ月くらいかなぁ。カウンセリングに2回行って、あとは睡眠を取りまくっていたら、少しずつ回復していきました。

仕事の量はそこまで変わっていなかったんですけど、どこかで「死んだら終わりだな」と思うようになって。仕事の途中でこっそり休憩したりして、自分を守っていました。

―お話を伺っていると、とても真面目で、どこか完璧主義なのかな?と感じます。ご自身では、どう思いますか?

そうですね、昔から、完璧主義なところはありました。学校をサボったりもしなかったし、何事もコツコツやっていくタイプでしたね。

仕事の途中で抜け出すなんて、今までの自分だったら考えられなかったです。少しずつ、「休む」とか「サボる」ことを、覚えていったんだと思います。

―ご自身の心身が危うくなって、お父さまの病気へのイメージは変わりましたか?

すっごく変わりました!それまでは、父の病気のことを、とても恐ろしく感じていたんです。人格もコロコロ変わってしまうし、自分の理解の範疇を超えていたんですよね。

自分がカウンセリングを受ける状態になった後は、「メンタルって、自分に関係ないことじゃないんだな。なにかきっかけがあれば、誰でも病気になる可能性があるんだな」と思うようになりました。

病気に選ばれちゃった人がなるんじゃなくて、本当に、誰でも発症する可能性があるんですよね。今まで遠い世界の話だと思っていたけど、一気に当事者意識が出たと思います。

―当事者意識が出てからは、お父さまへの接し方は変わりましたか?

精神疾患に関する本を大量に買い込んで、すべて熟読したりとか。母に「こんなことが書いてあったよ!」って報告することもありました。父の病気に、積極的に関わっていこうと思っていましたね。

でも、今思えば、その時期が一番つらかったです。

知識が付くことで、「こうやってやらなきゃいけないのか」と思うことも増えて。それに当てはまっていないことを父や母がやると、「そうじゃないのに!」ってイライラするようになってしまったんです。

お医者さんの診断にも疑問を持つようになって、薬もこれで合っているのか?母は先生に診察で伝えられているのか?って、本当にいろいろ気になるようになりました。

父との喧嘩も、そこからさらに増えてしまって。

―お父さまとの関係も、悪化してしまったんですか?

そうです。本には、まずは自分が病気だと認めることが大切だと書いてあるのに、父はいまだに自分のことを病気だとは思っていなくて。つい、「あなたは病気なの!」と詰め寄ってしまったんです。

案の定父は反発して、「お前は悪魔みたいなやつだ」とも言われました。私としては、病気を治すために行動しているのに、どうして理解してくれないんだ!って感じでしたね。

私のほうが、被害者意識が強くなってしまったというか、自分が救われたくて治そうとしてたんだと思います。

―お母さまとの関係は、なにか変わりましたか?

私と父が衝突しているのは、母にとっても心労だったと思います。

今まで父の看病は母がメインでやっていたから、その足並みを乱さないでほしいと言われたこともありますね。そこで、母と私の喧嘩になってしまったり…。

あの時期は、家の中がずっとピリピリしていたと思います。

―ご友人などに、ご家族のことを相談することはありましたか?

今になって、やっと話すようになったくらいで、あの時期は誰にも話していなかったです。

母が、会話の途中で「こういうことって、人に知られちゃいけないじゃない?」とか、暗黙の了解を含ませてくることもあったので…。

身近な友達や、彼氏にも、なにも言っていませんでした。

―話したいと思う気持ちも、なかった?

言いたいと思う気持ちは常にあったんですけど、母のこともあるし、どこかで言っても理解してもらえないと思っていたんです。

「そうなんだ、かわいそうだね」と思われるだけなんじゃないかなって。別に、かわいそうって思われたいわけではないんですよね。

場合によっては、「心の病気なんて甘えだ」と言われるかもって、不安もあったから。

―では、自分の気持ちを吐き出す場所は、当時のミルコさんにはなかった?

全然なかったですね。職場がブースのような場所だったので、誰にもバレないようにこっそり泣いたりとか…それくらいです。家に帰って泣くと、両親が心配するから。

今思うと、あの時期をよく耐えたなぁと思います。

―遊んだり、友達と旅行に行ったり、そういうこともなかった?

自分だけが遊ぶのはいけないって、どこかで思っていたんですよね。

友達や彼氏に会っているときに、「母と父が無理心中していたらどうしよう」って、つい心配になることもあって…。走って帰って、母に「どうしたの?そんなに急いで帰ってきて」って言われることもありました。

心中していると思ったなんて言えないから、「いや、ちょっと…」って誤魔化していましたけどね。

―ご両親から、「遊びに行かないでほしい」と言われたことはないんですよね…?

あ、そういうことは言われないですよ!ただ、母本人が、あまり遊びに行く人ではなかったので。なら、私も駄目だよなって勝手に思ってしまったんです。

母は付きっきりで父の看病をしていたから、いつか母も病んでしまうんじゃないと不安もあって。「自分が、両親を支えなきゃ!」って、義務感があったんですよね。

友達と遊ぶに行くのって、看病に繋がらないじゃないですか。だから、後ろめたさが強かったんだと思います。

―今思い返してもつらかった時期を、どのように乗り越えて行ったんですか?

乗り越えたというか、もう、諦めたんです。

「どれだけやっても治らないじゃん!もう無理!知らない!」って。父の治療に介入することもやめて、あまり口を挟まないようにしました。

ただ、私がなにか言わなくても、父の症状にあまり変化はないような気がします。

相手に近づきすぎることで、相手も自分も、どっちも苦しくなってしまうことがあるんだなと思いましたね。口を出しまくっていた時期は、気がつけなかったです。

―相手との距離を、適度に取るようにしたんですね。

まぁ、ついムカッとしてしまうこともあったけど…。

躁のとき、父は私に対して本当に傷つくことを言ってくるので。でも自分は言い返しちゃいけないって思っていたから、正直病気を盾にされている感じもしたんです。

父は言いたいことをなんでも言っているのに、私は、相手が病気だから我慢しなくちゃいけない。同じ人間なのに、どうして私ばかり我慢しなきゃいけないんだろうって。

対等な立場じゃなくなった気がして、とても嫌でしたね。

―そのイライラを、発散する方法はありましたか?

誰もいないときに、わー!!って叫んだりしてましたね(笑) 意外とスッキリしますよ。

あとは、運動するといいかなと思って、格闘技を始めたんです。キックボクシングのジムに行って、サンドバックを蹴ったり殴ったりして。

キックボクシングは、今でも続けています。すごくストレス発散になりますよ。体を動かしているときは、嫌なこともあまり浮かんでこないです。

一人暮らしを始めたので、物理的な距離が生まれたのも大きいですね。

―お父さまとの闘病生活は、15年以上だったんですよね。一人暮らしを決めたきっかけは、なにかありますか?

父の躁の状態が、どうしても耐えられなかったことが理由のひとつです。本当に、「そこまで言われなきゃいけないの!?」ってことを言ってくるので…。

あとは、その暴言を受けて喧嘩になることで、父の症状を悪化させている気もしたんです。父に攻撃されると、どうしても頭の中でゴングが鳴ってしまって…。

母にも迷惑をかけてしまうし、私がいることで、父が改善することなんてないんじゃないかって。もしかして、みんなに迷惑をかけているんじゃないかって、思うようになったんです。

―ミルコさんが一人暮らしをすることに、ご両親は賛成でしたか?

いや、反対でした。一人暮らしをしたい理由として、「一人立ちがしたいから」と言っていたんですけど、「わざわざそんなことしなくても…」っていう感じで。

でも、反対されるのは分かっていたんです。だから、なにも言わずに部屋を契約して、「ここに決まったから!」って報告だけしたんです。もう止められないとアピールすることで、無理矢理だけど納得してもらいました。

なんだか、父の看病をすることを、自分で自分のアイデンティティにしているような気もして…。両親が亡くなっても私の人生は続くのに、私にはなにが残るんだろう?って思ったときに、すごく怖くなったんです。

自分の人生を送るために、家を出て生活をしてみようと思って。

―一人暮らしを初めて、ご家族との関係はなにか変わりましたか?

限られた時間を過ごしている意識があるので、前と比べて喧嘩がとても少なくなりました。

父も変わったけど、私も心に余裕ができたんですよね。躁になって父になにか言われても、「おぉ!またきたかー!はいはい!」って、流せるようになったんです。

私が喧嘩腰にならないことで、父も肩透かしみたいになって、衝突することも減った気がします。

―とてもいい方向に、変化があったんですね。

そうですね。一人暮らしをスタートさせて、家族がどうなるか不安な気持ちもあったんです。「家族を捨てて、自分だけ幸せになって!」って思われるのかなとか。

でも、結果的には一人暮らしを決めてよかったなと思います。私の一人暮らしにショックを受けていた母も、最近は「お父さん、なんか落ち着いているよね」と言っています。

―ご家族と離れることで、自分の変化はなにかありましたか?

今までは、家族のことを誰にも話せなかったんです。友達にも、家族にも。

家族と離れてから、やっとこうやって、誰かに話せるようになりました。

家族と離れることで、あのとき自分がどんな気持ちで、どんな行動をしたのか、ゆっくり考えることができたからだと思います。

―ちなみに、一人暮らしを初めてどれくらい経ちましたか?

まだ、4ヶ月くらいです。自分でも、短期間ですごく変化したと思います。

最近は、遊ぶことの罪悪感も少しずつ薄れてきました。当時の「自分はこうしなければいけない」という気持ちが、どれだけ空回りしていたのか、今ではよく分かります。

自分に余裕があって、初めて人を支えることができるんですよね。自分の心に余裕がないと、人に優しくすることもできないから。

そのことに気がつけたのは、大きな変化だと思います。

―最後に、ご家族が精神疾患になった方に、なにか伝えたいことはありますか?

看病って、「家族だから頑張らなきゃ」と思っていると、成立しないと思うんです。その気持ちはとても大切なんですけど、肩の力が入っているときって、あまりうまくいかないんですよね。

まずは、自分を大切にしてほしい。

その上で、余力がある範囲でサポートすればいいと思います。「家族だから看病しなくてはいけない」って、全然理由になってないんですよね。家族だからって、看病しなくてはいけない義務はないんですよ。

世間的にそういう空気感があったり、実際に言ってくる人がいるだけ。私も、祖母に「あなたたちしかいないからね、よろしくね」って言われることもあって。重圧を感じることもあるけど、家族だからやらなきゃいけないなんて、思わなくていいはずです。

自分のことを、ちゃんと考えてあげる。本当に、それを忘れないでほしいです。

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