< 家族の体験談の一覧に戻る

抱えられないなら、手放す。上手にSOSを出すための考え方とは

2020.08.01

今回お話を伺ったのは、夫が3回うつ病を発症し、伯母も双極性障害と診断されているさくらさん。

お話の中で印象的だったのは、とても明るいさくらさんの笑顔と、「周囲の人に助けてもらう!」とハッキリ言い切る力強さ。

どのように、その明るさにたどり着いたのでしょうか?自分軸で考えることの大切さ、周りにSOSを出す重要性を、さくらさんに詳しくお話しいただきました。

患者さんから見た立場

妻(40歳)

患者さん

夫(39歳)

診断名

うつ病

― 夫のジョンさんは、今まで3回うつ病を発症したと伺っております。どんな経緯でジョンさんのご病気を知ったのか、教えてください。

夫が最初にうつ病を発症したのは、私とまだ出会う前なんです。私と出会ったときは、2回目のうつ病のときでした。

そのとき彼は、うつ状態ながらもまだ外出ができていました。でも、見ていたらわかったんです。この人、ちょっと調子が悪そうだぞって。

― そのとき、ジョンさんはどんな様子だったんでしょうか?

当時の恋人とうまくいっていなかったらしく、すごく落ち込んでいました。実は、私の伯母が双極性障害で、私が大学を卒業するまでずっと同居していたんです。

伯母のうつ状態のときを見てきたので、彼の状態が悪そうなことにも、すぐに気がついたんだと思います。

― 伯母さまの症状を見ていたからこそ、ジョンさんの状態が悪いことに気がついたんですね。ジョンさんの2回目のうつ病は、どのように回復していったんですか?

そのとき彼は日本にいたんですが、言葉の問題でスムーズに精神科に通院できなかったんです。本人は母国語で話したくても、彼の母国語に対応できる病院はあまりないので…。

私が診察に同席して、先生に症状を伝えたこともありました。一緒に通院を続けていくうちにお付き合いがスタートしたんですけど、それからすぐに、「一旦母国に帰って、ゆっくり療養したほうがいいんじゃないか」ということになったんです。

― お付き合いをした当初に、すぐに遠距離恋愛、かつその理由が「病気の療養のため」なのは、不安もあったのではないかなぁと思いますが…。

そうですね、寂しさはありましたけど…。母国には彼の家族もいるし、子どものころから付き合いのある友人もいるし。

自分が落ち着ける環境の中で治療をしたほうが、彼のためになると思っていました。自分の生まれ育った国でゆっくり治療をしていくうちに、少しずつ回復したんです。

その間もお付き合いを続けて、2013年の年末に結婚を決めました。

― うつ病が回復して、ご結婚をして…。どうしてそこから、3回目のうつ病に?

2015年の1月末に、私の妊娠が発覚したんです。

それが、3回目のうつ病発症のきっかけになりました。

― 妊娠が、うつ病のきっかけに…?詳しくお聞きしてもいいですか。

私と夫が住む家は日本にあったけど、夫からしたら、自分のベースはまだ母国にあったんだと思います。

私が日本で妊娠をしたことで、夫は「ついに拠点を日本に移すときがきた」と思ったんじゃないでしょうか。はっきりした再発理由は、いまだに本人もわからないらしいけど…。
私から見ると、日本と母国のどちらかを選ばなくてはいけないプレッシャーがあったんだろうなと思います。

― ジョンさんの不安も、もちろんあるとは思いますが…。さくらさんの不安も、大きかったのではないかなぁと思います。

私のマタニティライフは、初めからうつ病との付き合いです(笑)

ただ、3回目のうつ病がやってきても、そこまで落胆はしませんでした。夫と結婚を決めたときから、落ち込む出来事があれば再発する可能性もあるだろうなと思っていたから。

次はなにがきっかけでなるんだろうって、覚悟はしていたんです。

― さくらさんの考えがどこか落ち着いているのは、やっぱり、伯母さまとの経験があるからなのでしょうか?

そうですね。正直、夫よりも伯母との付き合いのほうが、ずっと大変でした。

双極性障害の伯母の場合は、症状の波があるんです。きっかけの有無にかかわらず、周期的にうつ状態になったり躁状態になるので、振り回されてしまうこともありました。

具合が悪くなった原因を伯母に聞いても、共感できないことも多くて。伯母と比べると、夫は落ち込みや不安の原因もわかるし、理解できることも多かったんです。

― 伯母さまとは、さくらさんが大学を卒業するまで一緒に暮らしていたんですよね。その間、伯母さまにはどのような症状が見られましたか?

伯母は、躁状態になると攻撃的になったり、不満をあらわにしたりするので、私の母とぶつかることがよくあるんです。

私にも母の愚痴を言ってくるので、イライラしてしまうときもありました。今も寛解はしていないので、特に躁状態になると電話がかかってきます。

― それは、どんな内容のお電話なんですか?

「お母さん(さくらさんの母)とまた喧嘩しちゃった、私が悪いの!?」って。私から見れば、正直どっちもどっちに見えるんです。

躁状態の伯母にその調子で絡まれたら、売り言葉に買い言葉のようなかたちで、母がきつい言葉で反応してしまうのも理解できるから。

自分の母親の悪口を聞くのも気分がいいものではなくて、伯母の話でついムカッとしてしまうんですよね。伯母の話を親身に聞くことのできない自分に対して、後ろめたさを感じてしまうことも多かったです。

― 自分の母親のことを悪く言われたら、気持ちがざわついてしまうのは無理もないかと思います…。ご自身のイライラと、伯母さまの話を聞いてあげたい気持ち、どうやってバランスを取っているんでしょうか。

伯母の話を聞く姿勢に変化があったきっかけは、キャリアカウンセリングの中で教えてもらった、アサーションとの出会いが大きいです。

・アサーション
アサーション<自己表現>トレーニングとは、自分も相手も大切にした自己表現を身につけていくためのトレーニングです。自分の気持ち、考え、信念等を正直に、率直にその場にふさわしい方法で表現できるコミュニケーションを目指します。
引用:株式会社日本・精神技術研究所

― アサーションを学んだことで、さくらさんにどんな変化がありましたか?

自分の気持ちに目を向けることが多くなりました。

自分がイライラして聞ける状態じゃないのに、伯母の話にムリして付き合う必要があるのかなって。「自分も伯母のことも大切にしていない可能性があるぞ、それでも聞くことを選ぶ?」と、立ち止まって考えるようになりました。

伯母の話を聞くかどうかは、自分自身が選んでいいんだと思えたんです。

― 「話を聞くか選ぶ権利」が自分にあると思うと、確かに義務感がなくなって、気持ちがほぐれる気がします。

私にとって伯母は、近くにいると時に苦しくなるけど、自分を育ててくれた第二の母でもあるんです。だから、伯母の話をまったく聞かないということもしたくないんですよね。

一方で、「この人の話嫌だなぁ」と思いながら聞いている自分自身も嫌だなぁと思って…。その気持ちを、どうにかポジティブに変換できないかと思ったんです。

― 「ポジティブに変換する方法」として役立ったのが、さくらさんにとってはアサーションだったんですね。

あとは、心理支援の仕事に携わり、心の病気や心理に関する勉強をする中で、客観的な視点を取り入れることができるようになったことも大きいです。

たとえば、問題が起こったときに、個人の問題として見るのではなく、その人を取り巻く環境や人との相互作用、関係性を見るという考え方は、私に新たな視点を与えてくれました。

― 相互作用や、関係性を見る…。どうやってやるんでしょうか?

例えば、私の母と伯母が対立していたとしても、どちらが悪いというわけではない、と考えるんです。2人が生きてきた背景環境を考えると、片方が悪いと決めつけられる単純な話でもないんですよ。

今でも、イライラしてしまうことや、聞き流したくなることはあります。だけど、伯母から見た景色を想像することはできるようになりました。

自分とは異なる時代を、双極性障害を抱えながら生きてきた伯母に対して、「どうしてそういう風に思うんだろう?」と考える余裕が生まれたんです。

― その考え方は、お母さまと伯母さまとのトラブルに、ご自身が巻き込まれない防衛にもなりそうです。

本当にそうだと思います。

伯母から「私が悪いの!?」と電話が来ても、「どちらが悪いではなくて、こういう見方もあるんじゃない?」と落ち着いて返答ができるようになりました。

― 客観的な視点を取り入れることで、ご自身のイライラに飲まれることも少なくなったんですね。

少し離れたところから、家族のことを考えられるようになったんだと思います。

伯母は、特別なきっかけがなくても周期的に躁状態とうつ状態を繰り返すんです。だから、本人が言う「原因」を、必ずしも解決しなくてもいいとも思い始めました。

躁鬱の波に飲み込まれすぎないように、適度な距離を取りつつ付き合っていく。そんな付き合い方も、家族としての選択肢のひとつになるんじゃないかって。

― 「アサーション」と、「心の病気や心理に関する勉強」。それ以外に、さくらさんやご家族の支えになったものはありますか?

定期的に、伯母がカウンセリングに通うようになったのもよかったです。家族は、近しいからこそ問題がこじれてしまうことがあると思うんです。

友人や親戚などの第三者の場合は、家族全体の事情をふまえて客観的に話を聞いてもらえない可能性もありますよね。アドバイスをくれたことが裏目に出たり、相談したコミュニティの中で、家族や特定の個人を見る目が変わってしまう、ということもあるかもしれません。

話を聴くプロとの関わりを持つことが、病気の人や家族の助けになるんじゃないかなぁと思います。

― 伯母さま自身も、カウンセリングに通っていい変化はありましたか?

躁状態のときの自分の発言を、伯母自身が後悔してしまうことも多かったようなんです。

カウンセリングに定期的に通うことで、自分の気持ちのガス抜きや、対人関係の練習ができているみたいですね。

― さくらさんが学んできたことは、伯母さまとの関わりだけではなく、ジョンさんとの関わりにも活きていそうですね。

そうですね、影響は大きいと思います。

3回目のうつ病になって、夫はよく「死にたい」とこぼしていたんです。夫がそんな状態でも、私は仕事に行かなくちゃいけない。

帰ったときに本当になにか起きていたら困るなと思って、家中の包丁を隠したこともありました。

― 生存の心配をしなくてはいけないのは、さくらさん本人の負担もありそうです…。

もし自分の言葉がきっかけで、夫がどうにかなってしまったら、本当に悲しいと思います。ただ、結局どうなるかはわからないとも思っているんです。

自分ができることはするけど、人が生きるかどうかに、他人が関与できることは限られていると思うから。自分の人生のことは、最終的には当人が考えることかなぁって。

「もしこの人がいなくなってしまったら、それも運命なのかもしれない」という気持ちも、心の中にありました。

― 一種の、割り切りのようなものでしょうか?

実は夫のことを、「自分がなんとかしなくちゃ!」と思ったことはないんです。

自分は、やりたい仕事がある。お腹の子どもも育てたい。もちろん、夫がいてくれることで、その形や体験は変わってくると思います。だけど、その2つは夫がいなくてもできることだと、少しずつ思うようになったんです。

結婚に関しても、自分にとってはひとつのプラスアルファの形でした。パートナーがいることは楽しいし、経験の幅や視野が広がり、人生が豊かになるとは思います。

でも、結婚をしなかったとしたら、きっと別のプラスアルファの形があったと思うんですよね。

― アサーションや心理について学んだ影響もありそうですが、元々のさくらさんの性格もいい結果に繋がっていそうです。昔から、人と自分を分けて考えることが上手でしたか?

いや、全然ですよ。夫と出会う前に交際をしていた人には、「この人がいないと、自分は生きていけないんじゃないか!」とまで思っていました。

― ジョンさんに対しての考え方と、全然違いますね!

元恋人との別れが、考え方が変わるタイミングだったんです。

8年交際をしたものの、結婚には至らず、私が30歳のときに別れを選びました。交際も長かったし、私も落ち込んでしまって。そのとき勤めていた会社も、結婚したら辞める場所だと思っていたのに、どうも結婚はいつやってくるかわからないぞと。

そんなときに、ふと思ったんです。

いつになるかわからない結婚を、ずっと待っているのはやばい。あるかわからないものなら、「ない」を前提に生きたほうがいいんじゃないかって。

― 「ない」を前提に生きる…。先ほどの、「パートナーがいることはひとつのプラスアルファの形」とも、通じる考え方な気がします。

夫ありきで、自分の人生を決めているわけではないんですよね。

元恋人との別れがひとつのきっかけになって、自分の人生を考え直そうと前の会社を退職しました。

その時期に、知り合いに紹介してもらったキャリアカウンセリングで、アサーションに出会ったんです。

― おお!そこに繋がっていくんですね!

― さくらさんのお話を聞いて、自分軸で物事を考えることが上手だなぁと感じています。とはいえ、お腹に赤ちゃんがいる中で、仕事もして、夫は病気で…という環境は、なかなかハードだったのではないかなぁと。
その時期に、周りの方からサポートを受けたことはありましたか?

私は、元々が気持ちを内に溜めておけない性格なんです。務めている会社の人にも、夫がうつ病だということは話していました。

出社してすぐに、同僚に「今日も夫が死にたいって言ってた。生きてるかな、生きてるよね?」と話を聞いてもらったこともあります。

同僚が話を親身に聞いてくれたことは、ありがたかったですね。

― 職場でも、ジョンさんのご病気のことをオープンにしていたんですね!

心理支援に関係する職場でもあるので、関係のある先生に紹介してもらって、夫と一緒に家族療法のカウンセリングを受けたり、精神科に通院したりもしました。

ただ、やっぱり日本で治療をしていても、言葉の問題もある中ではなかなか回復しなくて…。「薬のせいで治らないのかもしれない」と不安になったのか、夫は日本で処方された薬を、母国の主治医に「この薬は飲んでいいか?」と確認していたんです。

日本で行う治療に、本人が疑心暗鬼になってしまったんだと思います。

― 元々診てくれていた主治医が、遠く離れた国にいるというのは、ジョンさんにとっては不安ですよね…。

そうなんですよね。なので、3回目のうつ病が発症してしばらくして、夫と治療方針について話し合いをしたんです。

その結果、「また母国に戻って、しっかり治していこう」となり、帰国して治療をすることになりました。

― 2回目のうつ病が回復したときと、同じ環境で過ごしてもらったんですね。
ご自身のベースを日本に移すことが、ジョンさんのプレッシャーになっていたのではとおっしゃっていましたが、その点に関してお話はしましたか?

日本にベースを移すことにプラスして、父親として家族を支えなくてはいけないプレッシャーもあったと思うんです。

そこは、気にしなくていいんじゃないかと伝えました。

― ちなみに、どんな言葉でジョンさんにお伝えしたんですか?

「父親になるからって、いきなり稼がなきゃと思わなくていいんだよ」って。日本にベースがない中で、別の国からやってきて、いきなり家族を養うほど稼ぐのは難しいですよね。

「3人が生きていけるくらいは、私が稼ぐから。あなたの収入はプラスにはなるけど、それがないと生きていけないわけではないよ」と、夫に伝えました。

― その言葉を受けて、ジョンさんになにか変化はありましたか?

私の言葉がどこまで影響しているかは、わからないけど…。薬も効いてきたのか、その後少しずつ、夫は回復していきました。

母国で家族や友人と接していく中で、父親になるプレッシャーが心構えに変わり、落ち着いていったのかなと思います。

― さくらさんご自身は、職場の人に話を聞いてもらう以外で、なにか支えになったものはありましたか?

夫側の家族や友人が、すごく手助けしてくれました。

夫が日本にいるときも、夫の家族が頻繁にテレビ電話で夫と話をしてくれて。私に対しても、「あなたのほうが大変なのに申し訳ない」「本当にありがとう」って、すごく労ってくれたんです。

夫の両親に、おじいちゃんおばあちゃんに、おじさんに、なぜかそのパートナーに…。本当にたくさんの人が、夫と私と、お腹の中の子どものことを気にかけてくれました。

― 日本だと、家族の病気を、家庭内だけで解決しようとする方も多いように思います。周囲に相談したことで、「家族だから支えてあげて」と言われてしまったり…。
さくらさんは、周りからのプレッシャーはなかったですか?

私が鈍感なだけかもしれないけど、プレッシャーを感じることはなかったですね。

私は、家族や妻だからこそ、できないこともあると思っているんです。夫の幼なじみにも、「私よりも、わかりあえることがあるよね?いろいろよろしく!」と伝えていました。

私は夫の「妻」だけど、夫には私以上に付き合いが長くて、過去のうつ病のことも知っている「両親」も「友人」もいます。自分にできること、できないこと、すべきことを見極めて、他の頼りになる人にも助けてもらおうと思っていました。

― 自分では抱えられないものを、ちゃんと手放すことができるんですね。

自分のキャパのなさを、それなりに理解しているんだと思います。私、割とすぐに「ムリ!」「助けてほしい」って言うんです。夫に対してだけじゃなくて、仕事や子育てなど、他にもいろいろな場面で。

仕事や勉強、家事もそれなりにしたいと思うと、夫に自分の時間を100%捧げることはできないんです。 他の人に助けてもらわないと、回らないんですよ。

自分の人生をないがしろにしないことで、相手との関係もポジティブになっていくから。そういう意味でも、相手だけでなく自分のことも大切にする視点を持っていたいと思います。

― ご家族が病気になると、自分が助けなくてはいけないと、意気込みすぎてしまうのかもしれないですね。 そう思って苦しんでいる方に、なにか伝えたいことはありますか?

自分やご家族の周りに、ぜひ目を向けてみてほしいです。自分だけで抱え込むよりも、はるかにいい対応やアイデアをくれる人が、身近にいるかもしれません。

私たちも、夫のうつをみんなで支え合いながら乗り越えたことで、夫婦や家族の絆が強くなったと感じています。みんなで一緒に夫のうつと向き合うことで、さらに「夫婦」「家族」になった気がするんです。

夫は、またうつになることがあるかもしれない。でも、繊細で優しい性格であることを含めて、夫と夫婦でいたいと思っているのは自分なんです。

夫の両親は、両親としての関わり方で。夫の友人は、友人としての関わり方で。医療機関の方は、専門家としての関わり方で。

もし夫の病気が再発することがあれば、私はまた自分なりの方法で、夫に関わっていこうと思っています。

さくらさんの考え方に、深く影響した著書をご紹介します。
臨床と研究の第一人者、平木典子さん・柏木惠子さんの著書『家族を生きる』。

多様な家族の形に向き合いながら、いかに自分自身の人生を生きていくか、対話形式でまとめられた一冊です。

本が書かれたのは2012年。男性のあり方など、日本社会が変化してきた部分もありながら、「自分の生き方」「相手の生き方」「私たちの生き方」を考える上での関わり合いのヒントがたくさん詰まった本だそうです。

家族を生きる 違いを乗り越えるコミュニケーション
著者-平木 典子、柏木 惠子

< 家族の体験談の一覧に戻る