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すぐに答えが出なくてもいい。離れて暮らしながら模索する、持続可能なサポートのかたち

2020.12.13

今回お話を聞いた翔太さん(仮名)のご家族は、ご両親と長男、次男、翔太さんの5人。お父さんがうつ病、次男にあたる真ん中のお兄さんがパニック障害と自律神経失調症を患っています。長男と翔太さんは実家を離れ、お父さん、お母さん、真ん中のお兄さんが3人で暮らしているそうです。

現在はお兄さんの病状があまり良くないため、リモートでさまざまなサポートをしているという翔太さん。離れて暮らしながら家族を支える難しさや葛藤など、今の翔太さんが抱えるありのままの気持ちについて語っていただきました。

患者さんから見た立場

弟(31歳)

患者さん

兄(34歳)

診断名

パニック障害・自律神経失調症

― 翔太さんのご家族は、お父さんがうつ病、真ん中のお兄さんがパニック障害と自律神経失調症を患っているんですよね。まずは、お父さんがうつ病を発症した経緯について教えてください。

父がうつ病を発症したのは、自分がまだ中学3年生のときだったと思います。当時は上の兄が大学生、真ん中の兄が高校生でした。

きっかけは仕事のストレスだったようです。父は昔からなんでも抱え込んでしまいがちで、交友関係もあまり広くないタイプでした。周りにつらいと言えないまま精神的に追い込まれて、うつ病を発症し、勤めていた会社を休職したんです。

― 翔太さんは当時、お父さんの病気についてどのように聞かされていたのでしょうか?

家庭内でかしこまった場が設けられて、父から直接「こういう病気が理由で仕事を休んでいる」と聞かされたと思います。

自分にとってそれ以上に印象的だったのが、父が倒れたときの光景ですね。精神面の調子だけでなく、体調も少し崩して貧血を起こしてしまって。頭から血を流しているのを見て「このまま死んでしまうのではないか」と本当に怖くて……。

― 家族が倒れている光景はとてもショックですし、不安になりますよね……。お父さんは、休職期間をどのように過ごしていましたか?

いつも元気がなく、ほとんど家にいてずっと寝ていました。たまに散歩することはあったかな。母は沈んでいる父の様子を見て愚痴を言うし、家の中の空気が暗かった記憶はありますね。

自分はそんな暗い雰囲気が嫌で、現実から逃げていました。家族にはあんまり関与せず、友達と遊んだりして家を飛び出していたと思います。

― まだ中学生の子どもが親の病気を理解する、支えるというのはなかなか難しいですよね。

そうですね……。子どもとしては父の病気について深く知るのが怖くて、目を背けていたのかな。

父は1年後に復職して、稼働の少ない部署に異動になりました。その後の病状は比較的安定していて、たまに調子を崩したときは欠勤していたけれど、休職はせず働き続けていました。でも、土日はほとんど元気がないままでしたね。

そのまま定年まで同じ会社で勤め上げて、今は再雇用で週に3日ほど働いているようです。

― 復職後はずっと“低め安定”の状態をキープしていたのでしょうか。現在の調子はどうですか?

すごく元気とは言えないし、やっぱり、ダウンしてしまうときはずっと寝ています。それでも、病気との付き合い方を知って、大きく調子を崩すことはなくなった印象ですね。

ただ、今は真ん中の兄の方が調子を崩してしまっているんです。病状が悪化して、家から出られなくなってしまって。

― お兄さんがパニック障害と自律神経失調症を発症したのは、いつ頃のことでしょうか?

大学生のときですね。といっても、発症するまでは精神的な疾患とは無縁な学生生活を送っていたんです。高校では部活をしていたし、大学でもゲームや麻雀をしたり、友達と遊んだりしていました。

兄が調子を崩したきっかけは、大学時代の引っ越し業者のアルバイトだと聞いています。

― アルバイトで何かあったのでしょうか?

常に過度のプレッシャーを与えられるような職場で、先輩から「なんでこんなこともできないんだ!」となじられることが多かったらしいんです。アルバイトを続けるうちに精神的に追い詰められて、心身の調子を崩してしまいました。

そんなとき、大学の専攻に関わる実習でも厳しい現場にあたってしまい、余計に状態が酷くなってしまったそうです。大学を休みがちになり、留年したり休学したりするようになりました。

― そうだったんですね……。パニック障害や自律神経失調症という診断名がついたのは、そのときでしょうか?

はい。兄が休学している時期に、父が通っていた病院を紹介されて、通院するようになったみたいですね。そこで診断が下りたと聞いています。

その後も通院を続けて、大学を卒業した後は心理的負担の少ないアルバイトをしたり、障害者支援施設で働いたりしていたのですが、病状は良くならず……。仕事や人と関わること、通勤で電車に乗ることへのストレスなどから、どんどん悪化していきました。

― お兄さんには、具体的にどのような症状が現れているのでしょうか?

家族以外の人に会うと極度に緊張してしまって、吐き気が出てしまうそうです。電車に乗ることにも強い不安を感じるので、通勤も難しかったみたいで。

なんとか頑張り続けていたんですが、1年ほど前に限界が来て退職しました。現在は薬を服用しながら、実家で療養しています。

実は、兄の状況がそこまで深刻だと自分が知ったのは、ほんの数年前なんですよ。今お話しした経緯も、かなり時間が経った後に兄から聞かされました。

兄が大学生の頃から「どうやら調子が悪いらしい」とは認識していたんですが、自分も実家を離れて就職してからかなり忙しかったので、兄と直接連絡を取る機会がなくて……。

― どのようなきっかけで、お兄さんの病気について知ったのでしょうか?

何年か前に、兄が一度会社を辞めて入院することになった、と家族から連絡が来たんです。そのときにやっと兄の状態を知れて「そこまで悪かったのか」とかなり驚きました。

けれど、父が発症したときとは違って自分も大人になっていたので、現実をちゃんと受け止めることはできましたね。同時に「兄に対して何かできることはないかな」と模索し始めました。

― お兄さんの今の様子はどうですか?

調子には波があって、比較的元気そうなときと、深く沈んでいるときがあります。調子が悪くないときでも、家族以外の人と会うことや、家の外に出ることには強い抵抗感があるみたいです。

兄とは一緒に育ってきましたし、もともと仲が良かったので、とても心配しています。でも、自分は実家を離れて暮らしているし、仕事がすごく忙しくて、実家に帰れることはほぼないんです。

力になりたい、サポートしたいという気持ちはあるけど、どうやってサポートしていいのかわからなくて……。「離れていても、せめてやれることをやろう」と思い、毎日LINEで連絡を取るようになりました。

― LINEでは、どんなことをやり取りしているのでしょうか?

お互いが好きなバスケットボールの話など、病気とは関係のない雑談が多いですね。「今日の試合観た?面白かったよね」といった感じです。

他愛もない会話を重ねるうちに、兄の方からたまに「すごくつらい」「母親がつらそうな顔をしてるのが本当につらいけど、何かをしたくても何もできない」といった内容が送られてくることもあります。

自分としては、兄の苦しみに対して何もできていないことに、もどかしい思いを感じています。どうしたもんかな、なんとかできないかなって。

― でも、毎日の翔太さんとの何気ない会話が、きっとお兄さんの心の支えになっているんでしょうね。

そうかもしれません。兄には「こういうやり取りが世の中との唯一の繋がりで、他は何もない」「頼れるのは家族だけ」と言われることもあります。なので、毎日の連絡はこれからも続けていきたいです。一方で、兄が自分の他にも社会と接点を持てるようになればいいな、という思いもあるんです。

少しでもやれることをやっていきたいと思って、本や講演、勉強会などで情報収集しています。得た情報を兄に共有して「こういうのがあるみたいだよ。やってみたら?」と提案することもたまにあります。

― これまでは、どのような情報をお兄さんに共有してきたのでしょうか?

例を挙げるなら、精神障害者保健福祉手帳の取得についてですね。encourageの方から「一度取得しても返還できる」と聞き、返還できるなら取得してもいいんじゃないか、と思って兄に勧めたんです。いろいろ葛藤はあったようですが、今は手帳を持っています。

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ですが、どうしてもリモートでのサポートは難しいと感じる場面が多くて……。どちらかといえば、うまくいったことよりも、うまくいかないことの方が多いかもしれません。

― これまでうまくいかなかったサポートには、どんなことがありましたか?

以前、睡眠時間や歩数を管理するウェアラブルデバイスを買ってプレゼントしたことがあったんです。デバイスで測定した情報を共有できるアプリがあるので、離れていても兄の調子の波がわかっていいかなと思って。

実際に使ってもらうと、睡眠時間の増減から体調が把握できたし、体調を崩す周期のようなものがあることもわかりました。離れて暮らしていると体調の変化に気付けず、調子が悪いときの声かけもできなくなるので、デバイスにはずいぶん助けられましたね。

でも、数か月経ったら使えなくなってしまって。「せっかくプレゼントしてくれたから」と頑張って使ってくれていたようなのですが、やはり大きく調子を崩したときに、毎日身につけたり、充電したりするのが難しくなったみたいです。兄の負担がより少なくなるように仕組みを変えて、またチャレンジしてみたいと思っています。

― 離れて暮らしていると、調子を崩しても物理的な関わりが難しいのが心配ですよね。

そうですね。ウェアラブルデバイスの管理などは、一緒に住んでいる母に任せた方がいいのかもしれません。今後も方法の模索が必要かな。

他には、家から出られなくても受けられるオンラインカウンセリングを勧めたこともありました。何度か受けても問題解決に繋がるわけではなく、兄にとっては自分を打ち明けることがストレス解消にはならなかったようで、あまり合わなくてやめてしまったんですけど。

自分なりに考えて、いろんなサポートの方法を試してはいるんですけど、なかなかスムーズにはいきませんね……。

LINEだけの関わりに留まらないように、調子がよさそうな時は電話やオンラインミーティングにも誘っているんですが、抵抗があるのか連絡が返ってこなくなってしまって。もしかすると「活躍している弟を見るのがつらい」といった気持ちもあるのかな、と感じることもあります。

でも、調子がいい状態で家族と過ごしているときは、本当に昔と変わらない兄なんですよ。以前、2泊3日の家族旅行に行ったことがあるんです。父は体調が悪く、上の兄は仕事が忙しくて来られなかったので、母と兄と3人で。東北の方に行って、温泉に入ったり、山登りしたりしました。

旅行中は、兄も母もすごく楽しそうで。旅先で兄と一緒に散歩しながら、何気ない会話をたくさんしたのを覚えています。

― お兄さんにとって、翔太さんは安心して一緒にいられる存在なんでしょうね。

そうですね。自分といるときは元気なので、逆に、そうではない姿が想像できなくて。過去のつらい体験や、今の症状の話を聞いていても「なんでだろう?」と不思議になってしまうくらいです。

電車に乗ろうとすると緊張して吐いてしまっていた、それでも職場に行きたいから、朝起きて吐き切ってから行こうとしていた、今も家族以外の人と話すと吐き気がしてしまう……。兄のそんな姿が、自分には想像できないんです。

― 離れて暮らしていると、なおさら見えて来にくいのかもしれませんね。ちなみに、一緒に暮らしているお母さんはなんと言っているのでしょうか?

母はもともと元気でタフな人ですが、たまにしんどくなるらしく、自分が実家に帰ると愚痴や弱音が止まらなくなることもあります。よく「お兄ちゃんもお父さんもいつも元気がなくて、家が暗い」と言っていますね。もちろん兄や父本人が一番大変だろうけど、やっぱり隣で支えている母もすごくつらいんだろうな、と思っています。

― お母さんとは、お兄さんのサポートの方針などについて話し合うことはありますか?

そういえば、あまりなかったかもしれません……。どうしても愚痴が多くて、建設的な会話が難しいので、自分も母と向き合うのを避けてしまっている部分があるんだと思います。つらそうな姿を見たくなくて。

でも、もし母と「こういうサポートをしていこう」という建設的な話ができたら、事態が少しはいい方向に向かって、母も楽になるのかもしれませんね。今度挑戦してみます。

― これまでのお話から、翔太さんがお兄さんをサポートしようと、さまざまなことに取り組んできたことが伺えます。サポートをしている翔太さん自身が、つらくなってしまうことはないのでしょうか?

距離が離れていることもあって、なかなかうまくサポートできないもどかしさはしょっちゅう感じていますが……。実は、自分がつらくなることはあんまりないんです。根底には「なんとでもなる」という自信があるのかもしれません。

― 「なんとでもなる」。その自信の源泉はなんでしょうか?

「自分には自分の色がある」という気持ちだと思います。自分には本気で取り組みたい仕事があるし、生活もある。兄に対してはできる限りのサポートを続けていくけど、自分の生活をおろそかにすることはないし、仕事などのやりたいことにしっかり向き合って充実感を抱けている。だから、つらい感情に呑まれたり、無力感に苛まれたりすることがないのかな。

― 支える側が自分の生活を大切にするのは、サポートの持続可能性という意味でもとても重要ですよね。

はい。それに、兄がもしこのまま働けなくても、将来的には自分と上の兄で養うこともできると思っていて。だからこそ「なんとでもなる」なのかな。母親にはいつも「最後は兄弟3人で過ごしているから、安心してほしい」と言っていますね。

サポートをしていてもあまりつらくならないのは、いい意味で近視眼的な考え方を持っているおかげでもあるかもしれません。「先のことをあれこれ考えても仕方がない。今できること、目の前にあることをひとつずつやってみるか」と常に思っています。

先々のことまで具体的に考えすぎると、際限なく不安が生じて、かえって目の前のことが見えづらくなってしまう場合もあるのかなと。先のことはとりあえず置いておいて、LINEで好きなバスケの話をするとか、兄が抱えてる思いを聞くとか、今できるちょっとしたサポートを続けることを意識しています。

― 翔太さんが将来のことを思い悩んでいたら、お兄さんも申し訳なさを感じてしまうのかもしれませんね。それよりも、今のように気軽な連絡をくれる方が、つらい気持ちが救われるのかも。

そうかもしれません。確かに「自分はこういう状態だけど、あんまり考えすぎなくていいからね」というメッセージがこれまでに何度も来ました。兄の中にも、弟に負担をかけたくない気持ちがあるんだと思います。

どんなサポートが最適かという答えは、自分の中でいまだに出ていません。現在進行形で、模索しながら日々を過ごしています。

ただ、兄にはいずれ社会とつながりを持って、生きがいを感じながら生きられるようになってほしい。誰かの役に立ったり、活躍できる場を持ったりしてほしい。そのために自分ができるサポートをしたい、というのが今の気持ちです。

社会との接点を持つことって、必ずしも仕事だけではないじゃないですか。ボランティアでも農業でも、どんな形もいいと思うんです。自分が、そのきっかけづくりを一緒にできたらいいなと思っています。

― 確かに、いきなりお兄さんおひとりで社会との接点を持とうとするよりも、翔太さんと一緒の方が不安は和らぎそうですね。

そう思います。一緒に何かに取り組みながら、安心感を覚えてもらって、いずれは他の人もその輪に加わってくれたらいいな、と漠然と考えています。

と言いつつも、どうしても仕事ばかりになってしまっているんですけどね……。でも、自分の生活を後回しにしていては、続くものも続かないので。

― お兄さんにとっては、社会との接点を持つこと自体が生涯をかけて闘っていくテーマなのかな、と感じました。もしかしたら、翔太さんが「どうしたらいいんだろう」と思い悩むよりは、お兄さんの歩みを見届けるくらいの姿勢でいるのがちょうどいいのもしれませんね。

そうですね。時には焦りそうになるけど、これからもスモールステップを刻んでいきます。「なんとかしなきゃ!」と気負わず、できる範囲で、力を抜いて気楽にサポートを続けていきたいですね。

取材・執筆:小晴 ポートフォリオサイト
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